タイトル

 両親が党員ということもあり、家には「しんぶん赤旗」がいつもありました。

それまでは空気のような存在というか、当たり前になっていたので、特別に意識することはありませんでした。

ちょうど私が、高校生の時(96年~98年)は、日本共産党は過去最高の躍進期を迎えたときであり、わからないながらも、選挙速報で共産党の議席が増えるたびに、喜んだことを覚えています。

 リハビリの学生時代であった2000年に、千葉県内で行われた共産党の演説会に親と参加、その際に民青同盟(正しくは日本民主青年同盟)の方に声をかけられ、学校以外にも友達が増えるならと、加盟しました。

民青同盟というのは共産党とは別組織ですが、組織の目的としては、社会の次代の担い手として成長するために、広く一般的な教養と科学的社会主義、日本共産党綱領を学び、青年の要求の実現のために同世代の交流と連帯の輪を広げる組織です。

ここで、色々と学習する中で、共産党に対する認識も深まっていきました。

 何かの学習会の時に、科学的社会主義と日本共産党綱領を学ぶ中で「すごく大きなビジョンを持って何万人という人々が一緒に活動している事や、国民の中の多数者で選挙によって世の中を一歩一歩段階を経て変えていこうという道筋、そのために一人ひとりの意見を聞いて、それが最終的にそこへ結びついている事」に単純に『すごいなぁ』と深く感動し、周りの参加者が驚くほど涙を流したことを覚えています。

両親がなぜあんなに一生懸命がんばっているのかがわからなかったことや、私のそれまで生きてきた中で「仕方がない」とあきらめていた部分などが、クリアにできた瞬間だったと思います。今でもその感動は忘れてません。

しかし、決して共産党に入ろうとは思いませんでした。

日本共産党の事を学べば学ぶほど、戦前の活動の大変さや、とても責任の重い活動をしていることを実感してしまい『畏れ多くて、とても自分にはできない』と思っていたからです。

少しでも役立つことができるなら

 『自分にはできない』という気持ちが先立ち、なかなか決意できませんでしたが、「少しでも、私にできることがあるなら」と、2001年の夏に入党を決意しました。私の人生の中でも、大きな転機となり、今の自分を支える原点になっています。